2008/02/11

日本のへそ──明石、舞子、須磨

2008.02.10
【兵庫県】

 明石天文科学館(Map)


 「J.S.T.M.=Japan Standard Time Meridian ─SEIKO」(Meridian : 子午線)これではSEIKOの広告塔ですよね。
 天文少年だったわたしにとって、明石天文台はあこがれの場所でしたし「きっといつか!」との思いも、こんな歳になってしまいました。それにしても、三つ子の魂…ではないですが、小学生時代の思いをまだ忘れずにいるばかりか「おぉ、ここだ。やっと来たなぁ」などと感慨にふけっているということに、本当に子どもの頃の情操教育の大切さを身にしみて感じた次第です。
 さて、上にも書いた「明石天文台」という名称ですが、現在は使われておりません。確かにこの時計の裏側に天体望遠鏡があるのですが、それだけでは天文台とは言えないようです。
 正確なJST(日本標準時)を刻むための天体・緯度観測は、三鷹天文台から現在は岩手県の水沢にある観測所に引き継がれているそうです。
 岩手県からの勝手な連想で、宮沢賢治のつながりか? と思いましたが、違うようです(そりゃ、あまりにも短絡的に過ぎます!)。
 ではここは何なのかと言うと、日本の標準時刻を決めるための基準となる東経135°の子午線(北極と南極を結ぶ経度を示す基準線)が通る場であるだけで、機能的には現在ここは天文台ではないのだそうです。「へぇー」じゃなくて「なんだぁー」という印象ですが、プラネタリウムもあって人が集まっていましたから、いい意味での象徴であり続けているようです。
 町中の交番横にも135度の石碑が立っていたりするので、何かのイベントの時にでも「赤道って赤くないの?」に対する表現のような催しなんかできたら面白いのでは、とも思いました。

 「地震でずれたりしなかったのだろうか?」との先入観への答えを、見事に示してくれた(?)右写真です。これ地震のせいじゃなくて、施工と管理がお粗末なだけじゃん!
 仮に、地震のせいだったとしても、基準の時間を計って千分の一秒の精度で時を刻んでいる場ならば、その基準線のディスプレイとしては「ピシッ!」とした直線であって欲しいと思ってしまいました。
 まあ、地球を計測しているわけですから、この程度のアバウトさでは千分の一秒の精度では「ゆらぎ」とか言われてしまうかも知れませんが、これはイメージですから大切だと思うなぁ。


 左の木は、宇宙飛行士の毛利衛さん(下の斜めのプレートに顔写真と解説があります)が種を宇宙に持っていき、その成長の様子と宇宙の影響を調べている「エゾヤマザクラ」の木です。
 種だったとは言え、どのような宇宙の記憶を持っているのでしょうか?


 たこフェリー(Map)


 明石海峡名物「たこフェリー」です。立派な橋は出来ましたが「ご用とお急ぎでない方」は多いようで、まだまだ健在です。次回、淡路へ渡る際には利用してみようかと思います。

 明石の町は、今風のシーサイドリゾートのような明るさを持っていると同時に、魚の棚(うおんたな、と読みます)という市場のような商店街が持つ、瀬戸内の港町のような飾らない活気が共存しているようなところで、関西圏と瀬戸内の中間的なバランスがちょうどいい具合に取れているいるように感じられ、暮らしやすそうで楽しそうな町というとてもいい印象を受けました。
 明石焼き(たこ焼きの仲間ですが卵が多くフワフワしていて、地元では玉子焼きと言います)のお店の前には行列のある店もあり驚きました(連休の日曜ですからね)。わたしが寄ろうと思った店も、椅子に座っていましたが店の外まで並んでいたので諦めました。
 

 舞子公園──明石海峡大橋(Map)


 ホント、プロジェクトXだよこれは。支柱の高さが海抜297mあるんですって。東京タワーみたいなもんじゃないの!
 以前走って感じたのは「片側3車線って、ちょっと見栄張りすぎじゃない?」でしたから、デッカイモノを作りたい野望も分からないではありませんが、その下を行き来するたこフェリーが健在であるということが、利用者たちの答えであるのでしょう。








 海上プロムナードという、橋の下の展望施設です。
 大鳴門橋にもありましたが、ガラス張りの床から海面をのぞきながら(47mあるそうです)歩ける場所があります。ホント年と共に高さに対してこわがるようになってしまい、端っこをわたりました。
 ガキどもは、大はしゃぎして走り回っています。これからの日本は任せたからな! としか言いようがありませんでした……









 一ノ谷(Map)


 源平合戦の「一ノ谷の戦い」が繰り広げられたと伝えられるところです。屋島と壇ノ浦の合戦については歴史の教科書等で習ったことと、実際にその場所にも行きましたから印象にあるのですが、ここ一ノ谷についてはタッキー主演の大河ドラマ「義経」から意識し始めました。
 歴史書とは、特に合戦についての記述とは、勝者側に都合良く書かれているだろうことは容易に想像できるのですが(敗者の声は聞くことができないため)、現代では戦いが「一ノ谷」で行われたのか、義経の「逆落とし」(背後は急峻な山、前は海に囲まれた天然の要害とうたわれた陣地を、背後の山を駆け下り攻め込んだ義経の戦法)が実際にあったのか、その兵力が「精鋭七十騎」であったのか、等々細かな点までが議論の対象とされているようです。
 まあ、いにしえの出来事(1187年2月7日といいますから、いい季節に行ったと思います。もちろんこれは後で知りました)ですから、資料も少ないでしょうし、古きを知る歴史も、新しきを知る科学も常に書き換えられているので、現代の認識として印象を語ればいいと(いい加減だなぁー)、いつも思っております。
 「おごれるものひさしからず……」の一節がここでも登場してしまいます。ちょっと意味は違うかも知れませんが、海の平家(海軍力にたけていた)と言われた彼らが、とてもここからは攻めては来られないだろうという急峻な山を背にして、山側への油断(おごり)をしていたことへの教訓話しであるのかなぁ、と現地に立つことで感じられました。
 本当に険しい山が海に迫っており、必要な交通網として無理やりJRと山陽電車の2本の線路と国道を通したらその先は海という場所柄から、山側への警戒はほとんどしなかったであろうことが想像されます。


 須磨海岸(Map)


 これは、JR須磨駅改札口(2階にある)を出た南側出口の階段上からの眺めです。そう、駅前が夏には賑わいそうな砂浜なんです。この光景とても気に入りましたが、夏の駅構内は海水浴帰り客のお土産で砂まみれになっているんだろうなぁと思われます。それも季節の風物詩として受け入れましょうよ!
 昔はそういった場所はいくつもあったのでしょうけれど、みんな埋め立てられ失われてしまったせいで「おぉ、珍しい光景だなぁ」などと感じ入ってしまったのでは、という気がしました。


 最近は冬の禅寺めぐりが続いたもので、どうも暗い絵ばかりになってしまい「こいつ寺好き?」と思われたくないと言うか、自分でも発散したい欲求があって、今回の息継ぎで「海好き」を主張できた気がしています。
 ふぅ、待ってろよ沖縄!