2008/01/14

小学1年生が成人する年月──神戸

2008.01.13 & 14
【兵庫県】

 北野異人館(Map)

 「そして、神戸」といきたかったのですが「やっと、神戸」です。
 別に避けて通っていたわけではなく、一緒に仕事をしている会社が神戸にあるので何度か来ていて、南京町(中華街)の餃子屋等に連れてってもらったりしておりました。
 「土・日の人出はもの凄い!」と脅かされていたせいか、散策はまた今度と機を逸してきた感じです。

 大震災の起きた日も近いので、行くならこの時期がいいと思い立ちましたが、勉強不足もあり復興祈念行事などには出会えませんでした。もう、当日あたりにしか行われないのかも知れません。
 テレビで、当時小学生だった現在の大学生たちが、震災を知らない今の小学生に体験を語り継ぐ、という催しの様子を見ました。もう、それほどの時間が経過したんですねぇ。
 すっかり元気を取り戻して、しっかり未来を見据えているようなので、いつかわたしたちが災害に見まわれたときに励ましてもらえたら、とても力を与えてくれるのではないかと思います。
 ──そんなことは起きて欲しくはありませんが、避けることもできません。


 「尾道のような坂道の路地に異人館が建っていて、軽井沢のようなお店が賑わっている」というのが第一印象でした。
 別にケチつけるつもりはありませんが、いまどきの観光地はどこも似たようなもんだ、との印象を受けたということです。城崎温泉なども、若い女性客の心をつかもうと頑張っていましたが、ここと比べたときに「どこが違うのだろう?」とわたしなど思ってしまいます。
 若い女性をターゲットにした商売は、どれも似たようなものに「見えてしまう」おっさんには到底理解できないのかも知れません。
 ──若者向けの商売成功のためには「東京に学べ!」という「あさましさ」が、日本を均一化し、地方の商店街を寂れさせているとも言えます。地方の努力不足も確かに理解できますが、東京の財力の前には歯が立たないというのが正直なところではないでしょうか。決していいことではないと、わたしは思います!

 最初の写真右下は神戸北野天満宮ですが、京都から来た女の子(彼氏は神戸?)が天満宮の牛の像を見て「うわぁ、めっちゃ牛きれいや。京都の牛はみんな触るからテカテカなんよ」。そんな身近な町とのつながりを感じられる、何かとっかかりみたいなものがあった方が印象に残るのではないか、と思った「ナイス」(古い?)な一言でした。
 ──震災で牛の像が壊れて新造されたのかも知れませんし「神戸も先代はツルツルやった」のかも知れませんが、それがコミュニケーションのきっかけになると思います。


 とてもしゃれたこの家の外塀にも「登録文化財」のプレートが貼ってありますが、観光ルートから少し離れているから使い道(借り手)が決まらないのか、空き家のままになっています。保存にお金が掛かるのは分かりますが、その分家賃が高かったりするのだろうか? (保存方法に困っているのか?)
 確かに一等地であるとは思いますが、大きな商売をしないと続けられない場所にしてしまうと、観光地としての環境が荒れてしまうのではないかという気がします。


 生田神社(Map)

 いまや「人気No.1の縁結びの神様」、藤原紀香が式を挙げた神社です。
 ──関西的にはこれでいいんですよね? そこで「何でやねん! ひとりで出来るかいな。亭主がおるやろ尻にしかれた男が」と突っ込んでくる、という筋書きで?
 ここでは、正月は門松ではなく杉を立てるのだそうですが(昔、松は神社を守ってくれなかったので、境内に松は植えないとのこと)、もう恋愛成就の思いを結ばれまくってしまい、これでは神様も大変だろうと思ってしまうほどの数です。
 神様にも選ぶ権利があるとの主張でしょうか、いくつか振り落とされて(?)います。あれは、どう考えても無理やろうね。
 また、本殿脇の絵馬の奉納所には、ハート型のピンクの絵馬がビッシリと掛けられています。
 そこで突っ込むんですよね? 「おまえ、鏡見てから拝めや。藤原紀香とはちゃうねんで!」するとすかさず「あんたこそ、どないやねん! でも、尻にしかれそうなとこだけは似とるかもなぁー」とか?
 失礼しました……


 境内裏手に保存されている、安政元年の大地震で倒壊した「折れ鳥居」です。
 大震災の後「関西は地震が少ない」との迷信をよく耳にしましたが(1年半弱ですが確かに関東より少ないと感じています)、そんなことはないと鳥居が語っていたのに、とも思います。
 「神様、知っとったなら忠告してくれや!」と言いたい気持ちも分かりますが、神社も倒壊しちゃいましたから無理な話しです……
 でもあの後、日本全国「明日は我が身」と身が引き締まりました。


 相楽園(そうらくえん)(Map)

 明治時代の神戸市長の邸宅を、庭園として公開しています(立派な日本庭園です)。
 ですが和洋折衷の奇妙な空間となっており、写真はありませんが船屋形といいキンキラキンの2階建て「川御座船(かわござぶね)」の屋形部分だけを陸上げしたものが池のほとりにあったり、わざわざ作った天井が石のトンネルや、昔のまま残る厩舎(1階の厩舎は石造りで、2階の厩務員が木造)があったりします(この建物好きです)。
 わたしには、そんな風に何でも寄せ集めてひとつの庭園の中で共存させようとする日本人の「傾(かぶ)いた感覚」の方が、異人館街なんかよりずっと興味深く感じられました。
 ──信長の趣味のようでもありますが、それは異端的なのか、発展的だから刺激があるのか?

 庭園という基礎(お盆)がしっかり作られているから、どんなもの(生け花)が生けられてもとりあえず絵になってしまう、と思える不思議な空間です。
 右写真は北野から移設した洋館ですが、震災時に崩落してしまった煙突が庭に展示してあります。
 傾いた煙突も生け花のように見えてきたりしません?


 ポートタワー(Map)


 神戸はもう5〜6回目なのに、ポートタワーは初めて近くで見ました。(上写真海洋博物館)
 年齢と共に高所に対する恐怖心が高まってきているのですが、やっぱり登ちゃいますね。そして、上で回ってきました。
 下りのエレベータ乗り場の階の外周が、回転する(縦やないでぇ)喫茶店になっているので1周してきました(15分程度)。
 以前、六甲山山頂で「回転展望台」なるものに乗って回ったことがあり(男2人で)、わたしも回るの嫌いじゃないのですが(縦は嫌いや)「回りもの好きの神戸」として印象に刻まれることになりそうです。

 同じ港町として比較の対象となるのが横浜ですが、こちらの方が海が広く見える印象があります(陸地は狭いが)。
 埋め立ての規模や地形の関係もあるでしょうが、紀伊半島や淡路島まで見渡せるのが広いという印象を与えてくれるのかも知れません。


 レンガ倉庫(Map)


 モザイク(新しいショッピングモール)に客をもってかれちゃったのか? と思えるほど人が少なかった。
 夜が勝負なのかも知れませんが。
 いや、ひょっとして、このガラスの向こうで人が食事していたとしたら、赤面しちゃいます……


 倉庫の大型クレーンではありません。「はねっこ橋」という開閉式の人道橋で、ディスプレイ的な施設です。
 この橋は昔の造船ドックと思われる入り江に架けられていて、その会社と思われる看板が写真のすぐ下にあったり、逆側にはビルがあったりで、わざとフレームに入るように設計されているようにも思えましたが、全部避けてやりました。

 少し離れていますが、大倉山公園で「神戸海軍操練所」と言うか坂本龍馬の記念碑(これは高知県人会作という感)を見つけました。
 本物(?)はどこかにあるにせよ、思い出させてくれたことに感謝です。
 それにしても、龍馬は村上水軍と肩を並べるくらい、ゆかりをうたう地の多いことに驚かされます。


 湊川神社(Map)


 この日は非常に寒い一日(14日)で、あまり歩いてないのですが体が冷えてきて、気力も萎えてきたので早々に引き上げました(あぁ、ジジくせぇ)。
 寒さなんて関係ねぇとばかり、成人式の若者たちは意気揚々とあちらこちらを闊歩していました。
 「震災当時小学1年生だったキミたちが、これからは震災の語り部となり、復興の証となってこれからの神戸を支えて……」
 市長もこんな説教くさい話しをしていたかも知れませんが、部外者のわたしも何だかそんなエールを送るつもりで見送っていました。

 「何か背筋寒くねぇ?」「変なオヤジが写真撮ってるぜ」「ストーカー?」なんて話してたとしても、聞こえませんでしたから……


 P.S. やはり人気の観光地だけあって絵になる被写体がとても多く、歩いていて楽しゅうございました。
 また是非来たいと思っています、仕事じゃない時にも!

 P.S.2 NWJの大震災時の表紙の女の子(避難所でおにぎり食べていた)も、もう成人なんだろうと考えると何だか涙が出てきてしまいます…… 元気に冬空の下を闊歩しておられますように!