2007/09/17

コウノトリを授かった里──但馬地方
 (餘部、豊岡、玄武洞、城崎、出石)

2007.09.16
【兵庫県】

 餘部の鉄橋(Map)

 但馬(たじま)地方とは、兵庫県の山間部から日本海側の地域の名称です(但馬牛って聞くでしょ?)。
 前に書いたのはメールだったか? 会社の喫煙所(屋外)の目の前をJRの東海道本線が走っていて、色々な車両が走るのを目にしているのですが、見ているうちに「在来線の特急」に乗りたい気持ちが高まっていたのを、やっと今回実現できた次第です。
 京都から福知山まで「はしだて」という特急に乗りました。京都駅で買った「鯛めし」1,000円(荻の家って有名処?)も、えらくおいしくて上機嫌でした。
 3連休初日なのでグループ旅行の集団がいくつも乗っておりましたが、みな妙に盛り上がる初日のテンションのようでやかましい程の賑やかさです。中にはお約束のように午前中から宴会が始まってトイレにこもるやからもいたりで、休日の郊外行き特急列車の雰囲気をうんざりする程味わいました。


 そうそう、京都から福知山(わたしは福知山からレンタカー)を抜けて餘部へ続く路線を山陰本線と言います。
 「高さ日本一の鉄橋」と、その名をとどろかせた餘部の鉄橋って現在どのくらい知名度があるのだろうか?(いまどきは、もっと高い橋などあるだろうに)などと思いながら向かっていましたが、今でも観光バスが来る名所なんですね。
 以前鉄橋の上を列車で通り抜けたことはあるのですが、掛け替えが決まったと聞いてからそれまでには是非にとも、との思いが実現しました。とてもエレガントなたたずまいの鉄橋でした。
 その上を通る山陰本線は単線なので頂上部は線路1本分しかなく、支える部分の鉄骨の方が圧倒的に多いこと、そしてあそこから列車が転落してきたことは、橋脚の下から見上げないとそれを実感できないことですし、とても有意義なひとときでした。

 「餘部の鉄橋を越えた頃には…」という、夢千代日記のセリフが脳裏によみがえります。
 でもそんな「言葉の空気感」は、冬でなければ伝わってきませんわね……

 このすぐそばに小学校があり、ちょうど運動会をやっていました(日曜日ですし)。この辺りでは「今日は運動会の日!」という条例でもあるかと思うほど、どこの学校の回りでも平気で路上駐車の列が延びていました。
 パトカーもよく目にしましたが、駐車違反以外のトラブルのために見回っているようです。
 でも、警察本来の仕事ってそういうことだよね、と感じ入った田舎の運動会の光景です。


 コウノトリの郷公園(豊岡)(Map)

 実際にこんな光景が見られるとは……
 営巣のための塔で親鳥と思われる2羽が「コツコツコツ」とくちばしを盛んに鳴らしています。
 それに呼び寄せられた子どもと思われる個体が塔の上に降り立ちます。
 彼らにしてみれば何のこともない日常の風景なのでしょうけど、それを見たわたしが感動してしまうというのは何故なのでしょう?
 昔の光景(「新日本紀行ふたたび」で見ました)を知り、絶滅したことを聞き、環境復元の取り組みを知り、放鳥され子どもが巣立ったことを映像で見てきたわけですが、結局それは全部人間本位の事象なんですよね。
 彼らの生息環境を奪ってしまった(農薬の使用などで彼らの餌を駆除してしまった)反省なのか?
 それを踏まえて、これからの教育にはとてもいい題材になると思えたからなのか?


 いずれにせよ、今さらそんなマイナス思考をしても仕方ないと思います。
 兵庫県の取り組み(県立の施設で、お金も取らず説明もしてくれます)に対しても拍手を送るくらい、現時点での活動に賛同できましたし、本当に多くの人たちの関心を集めているわけですから(お祭りかい? って感じ。休日には交通整理の人が必要です)、今後を応援して、見守っていきたいと思います。
 周囲の農家でも、こうのとりの餌となる虫や小魚が生息できるように無農薬の栽培をしています。
 鳥が生息できる環境のことに頭を悩ますことが、我々にどんないい影響(発想の転換など)を与えてくれるのかを考えることにつながる、という発想のきっかけになるのだとしたら、素晴らしいことなのではないでしょうか。
 売店でおにぎりを買いました。この近くで採れた無農薬米を使っているかはちょっと分かりません。でも、穂先をたれた稲の前で食べたせいかも知れませんが「おいしゅうございました」。
 ここにはまた来たいなぁ!
 鳥が飛んでいることに感動できるなんて書くと、いま流行の動物園のように思われるかも知れませんが、共に暮らすことを目指す第一歩を踏み出せたということは、この国の将来に希望を持てるということなのではあるまいか(大げさかしら?)とすら感じられました。
 ですが、子宝を運んでくれるといわれるコウノトリの子を授かったこの里の未来は明るいのではないだろうか?
 などとは、ロマンチック過ぎるだろうか……


 玄武洞(Map)

 地質の勉強をした人間ですから頭のスミにその名は残っており、ようやく見ることが出来たとの義務を果たしたような印象です。
 噴出された溶岩が冷却される過程で、六角や五角の柱状節理が冷却面と垂直に発達するのだそうです(教わりましたが過程を見たわけではないので)。
 『未知との遭遇』(でしたよね?)のデビルズ・タワーも、同じように形成されたそうです。
 この光景を伝説上の動物である玄武(高松塚古墳の壁画にある)の姿にたとえて「玄武洞」と名付けたことが、玄武岩の名前の元になったそうです。
 そんなもんか? と……
 わたしには、ケチャダンスで腕を伸ばしているダンサーの群衆のように見えたのですが。
 どんな感性してんだか……



 城崎温泉(Map)


 大きなホテルが無いから(規制していると思われる)いい雰囲気を保てているのだと思います。
 上の写真は、温泉の真ん中あたりにある共同浴場の「一の湯」です。
 前を流れる川に沿って柳の並木が続くという、正に温泉街の王道という雰囲気があります。
 また、駅からの商店街には今風の店が並んでおり、若い女性を狙う作戦が見事にはまったようで、そんなグループをよく見かけます。──それは現在の観光地においての大成功を意味しています。
 右は温泉寺の参道で、森の中へと続く階段が参道らしい雰囲気を出しています。
 下の建物には由緒がありそうだとのぞいてみれば、志賀直哉ゆかりの宿と看板にあります。「城崎にて」をここで執筆したということでしょう(読んだかなぁ?)。

 わたしはと言えば、こうのとりに熱中しすぎて温泉に入る時間が無くなってしまいました。
 何しに温泉街に来たんだか。
 「この日は蒸し暑かったし、温泉に入る気分にならなかった」くらいの言い訳をして、下の飲用温泉をいただいて帰ってきました……

 イヤイヤ、寿司屋でかにちらし食べたんでした!(1,300円)
 何がうれしいって、ご飯の上にほぐし身ですが(身のままも少しある)全面にビッシリのせてある器を目にした時「うわぁ、しあわせ!」とつぶやいていました……
 本当、日本海側は「蟹、かに、カニ!」の看板づくしなので(初水揚げのニュースを先日見たばかりなので時期はこれから)、iPodの曲目リストからパフィーの「カニ食べ行こう!」(渚にまつわるエトセトラ)を探して聞いていました。
 これがわたしの「城崎にて」です……


 出石(いずし)(Map)

 ガイドブックで「さらそば」(小さなお皿にそばを小分けにして出す)の地、として初めて知りました(ついさっきカニちらし食べちゃったので今回はパスです)。
 行ってビックリ、すごい観光地でした。
 新羅(しらぎ)からの渡来人が開いた土地のようで、大陸由来の神事に使われた道具が発掘されているそうです。
 確かに出雲から山陰地方には大和と違った背景があるようで(大和も大陸起源と思われますが)、当時としては先進的な技術を持った人々が暮らしていた名残が数多く残されています。世界遺産に登録された石見銀山の発達も、元をたどれば大陸からもたらされたものと思われます。
 昔はこの地方の中心地だったそうで、現在ではお城や城下町のなごりを残しつつ観光地への転身に成功しており、観光客がゾロゾロ歩いています。どうも人の多い場所では落ち着いて撮れなくて、スミマセンって出来です……(何枚も撮る気持ちになれないのよ)
 この辰鼓楼を見たかったので、駐車料金400円払って車を置くことにしました。
 駐車場の料金所と案内係がおばあさんとおじいさんなので、非常に要領が悪いんです。
 でも別にさぼっているわけではないので、混雑の中でも「しょうがねぇなぁ」というイライラの解消には向いているとも思えました。

 道すがら、あちこちで黄金色に染まった田んぼに目を奪われました(ここには掲載してませんが、他にも多数稲穂の実りの写真撮りました)。
 この季節では当たり前の光景なのに、何をめずらしがっているのだろうと考えてみたら、きっとこの季節に休みを取ったり遊びに行ったり出来ない時期が長かったせいで(年齢が若く感心が無かったり、近くにそんな景色が無かったりも含め)、とても新鮮に見えるのではないか? という答えでした。
 そう思った瞬間、目から鱗の思いがしました。
 「これまで、何をしていたのだろう」と……
 過ぎたことは仕方ないにしても、これからは出来るだけ「自分の中に季節感を持って生活をしよう」という目標を忘れずにいたい、と思うようになりつつあります。